陽気の発するところ、金石もまた透(とお)る
2005年11月15日
気には、陽気と陰気がある。陽気は太陽の気で、明るく活力に溢れている。陰気は月の気で、太陽の反対側にあって暗く、休息気分である。
陽気は、それに触れる周囲の人々を温かく包みこみ、和ませ、幸せな感じに引き込む。
陰気は、暗く寒々しく、それに触れる人を緊張させ、固くこわばらせてしまう。
商売繁盛の気運は陽気である。商売が衰退してくると陰気になつてくる。
企業者が、商売繁盛・企業発展の一途を突き進むためには、時の流れの真っ正面で自分の商売の構えをつくり、火の玉のような陽気の固まりになつて、頑張れば必ず成功する。
昔、赤穂浪士の大高源吾は主君の仇を討つために身命を抛つ心境を「なんのその、巌も通す、桑の弓」と詠んだ。意味は、陽気の発するところ、金石もまた透る、と同義である。上っ面だけの、体裁をつくろった愛想笑いのような「陽気」では駄目だ。そんな腰の引けたへっぴり腰のところに陽気は生じない。
小手先の猿知恵を使って、一旦はあぶく銭を集める人はいるが、そんな商売繁盛は所詮、根の浅い小枝のような成功であって、やがてすこし大きな風が吹けば根こそぎ吹き飛んで消滅してしまう程度のものである。
自分の目の前の人を、心の底から喜ばせるために、ありとあらゆる工夫を凝らし、全身全霊を打ち込んで奉仕していく・・そこに、自ずから火の玉のような「陽気」が出現する。
大地にしっかりと根をおろし、どんな大風が吹いてもびくともしない商売繁盛は、頭のてっぺんから足のつま先までの陽気の固まりがもたらすもので、それ以外には無い。